まるの日々

〜 40代独身・一人暮らし・本来の自分を取り戻す道 〜

歩くスピードと、時間の流れ

前回の投稿で、

私は、駅構内では歩くのが早いと書きました。
サクサクと人を追い抜いて、いかに誰ともぶつからずに突き進むかを、勝手に一人でレースをしたりします。

 

家から駅まで早歩きや走ったり、時間調整ができます。
電車に間に合わないと諦めたら、ゆっくり歩いたり・・・。

 

しかし、

お子さんと歩く方や、

足が不自由な方、

お年寄りの方、

などは、ゆっくり歩かれます。

 

家から駅までの時間が、私とは違う。

歩くペースが違うと、流れる時間の感覚って違うんだろうな・・・。

一歩の時間感覚が違う。

その方の一歩が、私の三歩分だったりする。

どんな思いで、一歩、一歩を進まれているんだろうな。
ゆっくり歩かれる方の姿をみて、優しい時間というか、言葉でどう表現してよいかわからないのですが、尊さというか、偉大さというか、寛容さというか、すごいなぁ〜と心がいっぱいになる私です。

なんでも早ければいいってもんじゃなくて、その人その人の時間の流れがある。という所に私の琴線に触れるものがあります。

 

 

私の足の価値とは・・・

私には、何もない。ないない。と思い込んでいた時、
ないないをノートに書き綴っていました。

それって本当か?と自分に問うた時・・・
ガラッと、思い込んでいた価値が変わった内容をお伝えしようと思います。
要するに、自分の思い込み(観念)を外した話です。

 

その中で、今回のテーマは、

【 私の足について 】です。

 

私の足は、自慢ですが、足が長くて、程よく細くて、きれいです。
唯一の美ポイントです。

 

 


だがしかし、私は、自分の足には、価値がないと子供の頃から思っていました。

それは、
足が遅いから。ボールが蹴れないから。です。

足の価値として、走るのが遅い、ボールが蹴れないは、せっかく足が長いのに価値がない。

と思い込んでいました。

「足が長いね〜。スポーツ得意でしょ?」

と、よく言われるのですが、足を使うスポーツは全然苦手です。

だから、スポーツが不得意の私の足は、価値がない。と思い込んでいたのです。

「足が長いね〜、いいね〜。」と言われても、

「いや、私、走るの遅いんで、長いだけで使いものにならないんですww」

と自虐していました。

 

私が考える、足の価値といえば、

『足が早いかどうか』『スポーツとして役立てる足かどうか』

足が遅いと、足の機能としての価値は、ないと思い込んでいました。

きっと、
体育の評価が低かったのも、価値観として繋がっていたのかもしれないです。

 

そんなことを、
自分の足について、ノートにどばーーっと書いていきました。

 

ある程度、自分の足について、書いていった時。。。。

私の足は、本当に価値がないのか?
それって本当か?

と、心が呟き出しました。

それって本当?とノートに書きました。

そして、
書き綴ったノートを読み返しました。

ふむ。足が遅い、ボールが蹴れないことは、認める。
しかし、
私の足は、細くて綺麗だ。
私の事を好きでいてくれる人は、私の足が綺麗だとほめてくれる。

・・・・・・・・??

んん??


「足が遅いと価値がない」って本当か???


あーーーーーーーーーーーっ!!!


足が遅いと価値がないと決めていたのは、私自身だ!!!!


私の足は、観賞用としての価値があるじゃないか!!!


おーーーーーーーーーーっ!!!


私の足にも、価値があった!!!!
目から鱗!!!

かといって、足を露出する格好はしませんが・・・

それから、

私は、走るのが遅くて、ボールが蹴れない足を、許すことができ、自分自身に認めることができ、「私の足は、自慢です。観賞用です」と自然と言えるようになったのでした。

 

とはいえ、
よく思えば、
歩くのは早いのです。駅構内では、誰よりも早く歩きます。
足の機能としては、十分なくらいです。

自分で決めてしまった価値基準で、自分にはない。と決めつけてしまっていた。
そのことに大きく気づかせてくれた、私の足でした。


はじめまして。

まるの日々。

 

私の趣味は、
私の内面で起きてる心の動きの観察・・・。
本来の自分とはなんだ?を自分に問う。
そして、
常識とか普通とか社会一般として作られたニセ自分を、少しずつ剥がしていくこと。

 

ブレインダンピングといって、頭の中に浮かんでくる言葉をズ〜っと書き続けていくことをやっていったら、


あれれ???
私、こんだけのことで頭がいっぱいになってたんだ!
悩みが宝物になるアハ体験が続出。

 

ここでは、私のアハ体験や、心の気づき、自論を書き綴っていこうと思います。

 

将来の夢は、笑って死ぬこと。

自分の葬式をやってもらえるなら、
私のエピソードを思い出して、あーだこーだと、笑ってもらって楽しくお空に送ってもらうこと。

130歳くらいまで生きて、畑の野花の中でポクっといくこと。

笑って死ぬ。ということは、
自分のお役割を、やり切って死ぬ。楽しかった〜。とご満悦に。

でも、いつ死ぬかわからないから、

毎日毎日を、生ききること。やることをやる。

なんやかんやいっても、今日も一日、まるです!
とりあえず、まる。とする!

よく頑張ってる!えらいぞ!!


いくつになっても、健やかに伸び伸びと成長していきます!

 

どうぞ、よろしくお願いいたします。